人生の意味って?を子供のころから考える
うつ病を患っている筆者ですが、うつ病気質は振り返れば幼少期からあったかなと思います。
具体的には小学生のころから抑うつ的な思考をしていた気がします。
「なんで生きているんだろう?生きる甲斐はあるのかな?」なんてことを小学生のころから考えていて、それは中高の頃も続いていました。
結局生きる意味は考えてもわからないままです。
ただ、生きる意味を考えるべきなのか、についての考え方はうつ病が軽快に向かったころから少し変わりました。
人生の意味を考える意味
なぜ人生の意味を考えるのでしょうか?
筆者が人生の意味を考えていた理由は、完璧主義的な面からそうしなければならないと考えていた気がします。
「人生を真に価値あるものにするためには、その意義を考えなければならない。」そういった観念にとらわれていたのかな、と思っています。
うつ病で苦しんで、どうしようもない時間を経験して、それでも生きていることに喜びを見出せたとき。
そのとき、人生の価値を最大化しようなんてことは一切頭にありませんでした。
人生はただあるがままでしたし、その人生を素敵なものだと思えた経験は個人的に衝撃的なものでした。
それまでは人生を素敵なものにしなければならない、と思っていたのに、人生はすでに素敵なものだったからです。
人生に対する前向きな諦め
人生がすでに素敵なものだと気づいてからは、うつ病は快方に向かいました。
ただ、それですべてがうまくいったとは思っていません。
昔は人生をよりよくするために努力に努力を重ねることを厭わない人間でした。
今は頑張らなくてはいけない目的を見失って、怠惰に寝転がってばかりいます。
人生に対して「それはすでに良いものだから」と思い、前向きに諦めている状態です。
今の生活は楽しいです。
ただ、前みたいに努力できていた時のことをまぶしく思い出すことも多々あります。
おそらく、自分の中での「善」の定義が昔のままだから昔を良く思ってしまうのだろうと思います。
自分の人生は自分で切り開くしかない、なんてことはよく歌でも歌われています。
努力は尊いものだというのは万人が認めるところです。
それでも現状に満足してなんとなく生きていくのもそれなりに素敵なことではないでしょうか?
うつ病がよくなったところである程度のところで満足してしまいました。
この先を求めるべきなのかはわかりません。
異論・反論は大いに歓迎です。